年末の紀勢本線縦断日帰り旅
by ポテトコロッケ

 近頃、長期の休みとなると夏の御盆か年末年始の休みとなる。
そしてこのMLに入会してから宿泊を伴う単独旅もできるようになった。
そうなると昔から生きたくていけなかった所へいきたくなる。
それが2004年の夏に出かけた山陰本線の旅や飯田線乗り通し、また昨年夏の青森への旅などである。
 さて今回の年末年始の休みは12月30日から1月の4日までと決まった。
今回は11月の末に引っ越したこともあってそれがちゃんと片付いてないこともあるので1日くらいしか時間が取れない。
そんな時、前から暖めていた計画を思い出した。
なんとか三重県から和歌山まで続いている紀勢本線を使って1週の旅ができないかということであった。
これがなかなか青春18切符を使うとなるとうまくいかない。
所が、1パターンだけ高接続で移動できることがわかった。
しかしそうなると瀬田駅出発が朝の5時50分くらいとなり、タクシーを使うか家族を起こして送ってもらわないといけない。
そんなわけでなかなか実行できなかった。
しかし、今度引っ越しをした場所がJR山科駅近くということで計画実行可能となった。
じゃあいついくかだが、休みに入って早々にでかけることにした。
この日は実家に戻ることにしていたので1週というより青春18切符を利用した大回り乗車となった。
 さて、12月30日(土)。前日仕事が夕方に終わって神戸で学生時代からの仲間と忘年会ということで帰宅したのは日付が変わりそうな時間だった。
しかも年賀状の書き残しやメールのチェックなどをしていると寝るのがとんでもない時間になった。
でも好きなことをしようとしている時はけっこう起きれるもので結局目覚ましより早く目がさめた。
神戸にいく前に、阪急の梅田駅の改札の近くにある「成城石井」のクリームメロンパンを手に入れていたのでこれを朝食にして急いで準備をする。
本来なら瀬田駅を出発している5時50分自宅を出発。
けっこう気温は冷え込んでいる。
前日には大阪でも行きがちらついていた。
名古屋のセントレア空港では一時閉鎖されていたらしい。
 ゆっくり歩いても余裕で駅に到着。
愛想のよくない駅員に青春18切符に日付を入れてもらう。
帰省ラッシュが始まっているのか大きな荷物を持った人が多い。
ホームに上がると湖西線からの京都行きが到着したところだった。
ここから大阪駅に向うべく6:03分初(705K)快速に乗車。
やってきたのは221系6両だった。
車内はけっこう混んでいた。
京都で下車客はあったが多くは大阪方面の乗客だった。
この時間はまだ新快速が走っていないので快速が大阪に先着する。
しかも8時を過ぎたころから高槻より東側では各駅に停車するが、この時間帯は京都から長岡京・高槻・茨城・新大阪・大阪と停車していく。
久々に221系の軽快な走りを堪能することになった。
この車両もではじめの1989年頃から1995年に223系が登場するまで新快速で大活躍していたのである。
新大阪で大きな荷物を持った人たちが降りていった。博多方面へのレールスターにでも乗り換えるのかそれとも伊丹空港へのバスに乗り継ぐのだろうか。
そして6時45分大阪駅着。
いつも通勤で利用している大阪駅はものすごい雑踏だがこの時間はとても人が少ない。
中央通路への階段を使って下に降りて真っ直ぐ進むと環状線のホームに向うが、途中で西の桜橋口に通じる通路に入るとシュークリームの店や喫茶店・コンビニなどがある。
ペットボトルのお茶と昼を食べそびれた時用の食料を調達すべくコンビニに向ったつもりだった。
適当に自動扉を入ると女性店員がでてきて案内してくれた。
コンビニにしてはへんだなと思いながらついていくとテーブルに案内されていた。
どうやら喫茶店が新しくなっていたようでなんとなくことわれずにホットコーヒーを頼むことにした。
思わぬコーヒータイムののちその店の西隣のコンビニでてきとうにぱんとお茶を買って環状線ホームに向う。
時間がたっぷりあると思っていたのでちょうど良かった。
環状線内回りが発着する1番乗り場で待っていると京橋方面から223系8両編成が入線してきた。
これが継ぎに乗る7:06分初関空・紀州路快速(4511H)である。
この編成前5両が関西空港へ残り3両が和歌山に向うことになっている。
環状線の内回りで天王寺へそして天王寺の関西線ホームを出発して高架に上がって阪和線と合流し、途中日根野(ひねの)で切り離してそれぞれ関西空港と和歌山に向う。
関西空港から出かける人・あさから和歌山の故郷に帰る人・白浜などの温泉を楽しもうとする人などで朝なのにけっこう込んでいた。
それでも座ることはできて適当に走行音を録音したりして和歌山まで向った。
やはり乗り慣れない人がいて、日根野でほんらい関西空港にいくべき人が車両を間違えて置いていかれるということもあった。
まあ日根野駅で継ぎの列車でいけばいいのだがちゃんと飛行機に乗れたのだろうか。
8時30分和歌山駅2番線に定刻で到着。
どうやら紀勢本線の御坊行きは6番ホームということですぐ近くの地下通路から配線を予測しながら移動する。
手すりの点字表示を確認して階段を上がると113系の電車が止まっていた。
モーターを停めているらしくモハ車両が確認できなかった。
これが継ぎに乗る8時37分初の御坊行き(333M)である。
車内に入るとボックスは適当に埋まっていた。
それでも進行方向の通路側に座ることができた。
ほぼ定刻に発車。
紀勢本線は途中紀伊田辺までは複線ということで列車の交換待ちなどはないがけっこう特急重視のダイヤなので通過待ちなどがある。
和歌山をでてしばらくすると宮前駅で新宮を5時36分に出発してきたスーパー黒潮6号とすれ違う。
里帰りなのか途中の駅で降りていく人がぼつぼついる。
9時10分簑島(みのしま)に到着。ここで新大阪からやってくるスーパー黒潮1号をやり過ごすのだが帰省ラッシュで乗客の乗り降りに手間取っているのか3分ほど遅れているとのことだった。
御坊で紀伊田辺行きに2分の待ち合わせなのできになる。
その後オーシャンアローとすれ違って藤並駅の駅で普通列車らしい車両とすれ違った。
これが348M和歌山行きで、あとでこのmlでわかったことだが藤並駅の切符をゲットにこられた鉄道せっちゃんさんがその列車から下車されていたということでニヤミスをしていたことになる。
結局御坊に3分遅れで到着。
向かい側に113系の2両編成の紀伊田辺行き(2351M)が待っていた。
ホームの真ん中の柵をよけながら急いで移動していると職員らしい人が声をかけてくれて列車まで誘導してくれた。
入り口付近の席に座った。
4両から2両になるのでもっと込むかなあと思ったらそうでもなかった。
この辺りから朝が早く、昨夜もそんなに眠れていなかったので眠気が襲ってきた。
うとうとしていると人が沢山降りていった。
時計を見ると10時30分くらい。
きがつけば紀伊田辺に到着していた。
車内でも駅でも乗り継ぎのアナウンスガなかった。
19分あるので改札にでもいって聞いてみようと思っていたら駅の職員がでてきてくれていた。
御坊駅から連絡がいっていたのだろうか。
無事に1週できそうである。
 結局新宮行き普通(2331M)はすぐ向かい側に止まっていた。
これに乗り継ぐ人はそんなにいないみたいだった。
中に入るとろんぐシート車両で105系なんだろうが、えらく中がきれいにされていた。
2両編成の車両内をうろうろしていると和歌山よりの車両の前の方に新しそうなバリアフリーといれがついていた。
窓も大きくどうやら105系もリニューアルされたようである。
それにしてもJR西日本って車両をだいじに使うところだ。
そういえば入り口のステップも2段だったようなきがしたがこれも直されていた。
シートも貼り替えられたようなかんじだった。
今日は天気予報では雨はしんぱいないということだったが御坊を過ぎたあたりから雲行きが怪しくなって小雨も降り出していた。
でも紀伊田辺をでた辺りからは日もさしはじめてきた。
忙しい天気だった。
新大阪へ向うスーパー黒潮12号と京都を8時5分に出発してきた黒潮3号が発車していった。
地元の人たちが発車直前に乗り込んできた。
定刻10時51分に発車。
どうやらモーターも入れ替えているのか105系とは少し違っていた。
それにしても昔は165系電車で長距離を乗ってもあんまり疲れなかったが、このごろはろんぐシートでほぼ3時間乗り通すことになる。まあ乗り通す人はいないのかもしれないが・・・。
これだと駅弁も食べられない。
すでに御坊から先はワンマンカーとなって基本的には運転手の後ろつまりいちばん前の扉からしか乗降できないことになっていた。
無人駅同士での乗り降りは乗る時にバスのように整理券を取って前の運賃表を見て降りるときに運賃箱で料金の回収を行うようになっている。
千円や500円100円などの硬貨が両替できるようになっている。
こんな時はモハ車両より運転席に近い所に乗るのがくせになっている。
電車は11時7分白浜駅に。
ここで観光客風の人も地元の人も乗客の大半が降りてしまった。
この電車を新宮まで乗り通す人はどのくらいいるのだろうか。
白浜をでると海に近い所を走行しているようでそして起伏も激しくなってくる。
さすが黒潮に振り子電車を導入した理由がよくわかる。
小学校の6年生の夏休みに家族で勝浦温泉に遊びにいったことがあった。
その頃(昭和51年くらいだったか)京都から草津線・関西線・紀勢本線を経由して新宮から普通列車扱いで串本までいく急行「熊野」が走っていた。
祖母が亀山に住んでいたのでよく亀山までは利用していた。
行きはその「熊野」を乗り通し、帰りは新宮から天王寺行きの急行きのくにで帰るという旅行をしたことがあった。
とうぜんながらキハ58・28での旅だった。
くろしおもあったのだが指定券が取れなかった記憶がある。
当時はすごい列車があって、黒潮も天王寺から紀伊半島を横断して亀山から関西線で名古屋まで走る列車があった。(昭和48年に現在の伊勢鉄道の前進の伊勢線が開通してからは伊勢線を津から四日市に抜けていた。)。
それに京都から奈良線桜井線和歌山線で和歌山から白浜に行く急行白浜というのもあって中学の夏の校外学習で湯浅か藤並辺りまで乗車したことがあった。
さて、電車はモーターを唸らせてゆっくり走って11時30分周参見(すさみ)に到着。
両親と子供の3人ずれが同じ車両に乗車していて子供のためなのかなにが珍しいってお母さんが途中どんな列車とすれ違うかとかここでは何分停車するとかをよく調べていた。
この周参見は10分止まるのでホームに降りても大丈夫ということで携帯のかめらでなにか取っていた。
そこに紀伊田辺行きの普通がやってきた。
そして京都からのオーシャンアローが停車し抜き去っていった。
なんぼんの特急に抜かれたのやら。
継ぎの見ろ図駅でも3分停車で新大阪行きのスーパー黒潮と行き違う。
けっこう駅間があってそれをゆっくり進んでいく。
この辺りに病院とかそれとも公民館などの人の集まる所があるのかけっこう乗ってきてそれぞれの駅で「良いお年を」などと年末独特の挨拶をして降りていくというまさに地元の列車という雰囲気が感じられる。
串本で紀伊田辺方面の列車とスレ地がう。
このあたりから空腹を感じるようになってきた。
大阪駅でパンを2個買ってきてあったし自宅の冷蔵庫に残っていたバナナも持ってきていた。
少し恥ずかしいけれど腹ごなしをして旅を続けた。
やはり帰省ラッシュ、それに年末の休みに入ってきていて移動する人が多い。
人が多いと荷物などで思わぬトラブルが発生する。
特に2・3個荷物があると網棚に置いたりするとつい忘れていってしまう。
周りの乗客に教えてもらっている人。また完全に忘れていてあわてて戻ってくる人もいる。特急列車の交換待ちのときで良かった良かった。
串本や紀伊勝浦で乗客が入れ替わる。
そして紀伊天満で京都行きのオーシャンアローとすれ違う。
そしてその先の紀伊佐野駅では買い物帰りなのか荷物をもった人が沢山乗り込んでくる。
年末の光景である。
13時27分新宮の一つ手前の三輪崎駅に到着。
しかしその1分前に新宮を発車した名古屋から紀伊勝浦に向うワイドビュー南紀3号と行き違うために9分停車する。
列車が止まっている間に後ろの車両のバリアフリーといれを使ってみた。
キハ126や225系などにある広いトイレだった。
駅をでて6分で新宮に到着3時間足らずのろんぐシートの旅を終えることになった。
この列車の到着を待つように京都にむけて黒潮28号が発車していった。
 継ぎに乗る亀山行きまでは1時間以上あるので食事を兼ねて駅の外に出てみることにした。
列車を降りて流れに乗って歩いていると前方に階段発券。というところで駅員に声をかけられた。
改札まで案内してもらった。
駅の外に出てみると前にも書いたが30年ほど前に家族で旅行に来て那智の滝や瀞峡などをバスで観光してこの駅前で降りて歩いた記憶があるがそのころは商店などもあってもう少しにぎやかだったように思う。
年末だからかずいぶん人がいない。そして店もなさげである。
帰ってくる家族を出迎えるのか何かを待っているような人たちはけっこういる。
ひとしきりうろうろしてからたまたま行き違った人に聞いてみるとどうやらなにかを食べれそうな店は目の前の喫茶店のような店くらいだった。
入り口横には窓口のような所があってめはり寿司と秋刀魚寿司の販売所も兼ねているようだった。
どうやら和風らーめんしかないようなのでそれをたのんだ。
醤油ベースの和風出汁に椎茸に半分のゆで卵そんなかんじだった。
ときおり常連客らしい人が顔をだしてコーヒーを飲んで帰っていった。
時間があるのでホットコーヒーを注文した。
そのうち喫茶店のおばさんにどこからきたのかとかいろいろ聞かれて「目的なしに紀勢本線を1週している」というと驚いておられるようだった。
どうやらこの店は駅の敷地らしくその店をもう長いこと切り盛りされているんだそうだ。
数年前まで走っていた通称釣り列車といわれていた天王寺〜新宮の夜行快速があったがその列車が到着する人たちをねらって朝5時から営業をしていてその列車がなくなっても昔からやってたことなのでいまだに5時から開けているとのことだ。
この列車東京から和歌山方面へのアクセスも考慮されていたようで、無くなる直前は新大阪からはるかや黒潮が通るコースで運転されていた。
今は紀伊田辺行きとして存在している。
紀勢本線の沿線には格好の釣り場があるので、釣りを目的とした人たちが利用していたはずなのに、道路網が発達して列車を使わなくなったのか。
それにしても朝5時から客があるのか疑問だった。
もしかしたら漁業など朝が早い人たちが多いのかもしれないが。
それと昔来たとき駅前がもっとにぎやかだったと思ってきいてみるとやはり年々寂れてきていて駅前の商店もけっこうクローズしているところが多いのだそうだ。
しかもさっき通ってきた紀伊佐野駅の近くにしょっぴんぐモールができたことで新宮辺りの人たちもマイカーで出かけるようになったのでよけいにこの辺りが静かになったんだそうだ。
車を使えない人たちも年末の買い物ということで少ない列車を使ってでかけたのだろう。もしかしたら紀伊勝浦周辺の人も出向いているかもしれない。
どうりで紀伊佐野駅の乗客の入れ替わりが激しかったわけである。
夕食用に秋刀魚寿司を買って2時40分過ぎに店をでた。
駅前のロータリーをうろうろしながら駅舎に戻った。
建物の奥の方が待合室や土産物屋とか立ち食い蕎麦などがあるらしくいってみようとおもって歩いているとさっき改札に案内してくれた駅員が声をかけてくれた。
どうやらホームに案内してくれるということのようだ。
土産物屋にいくのはあきらめて案内してもらって3番ホームにいくと列車は入線していた。
この列車がこの先をいく15時6分初の亀山行き(332C)である。
紀勢本線は和歌山から三重県の亀山を目指しているが、この新宮を境に電化区間と否電化区間に分かれる。
さらにJR西日本と東海との境でもある。
ただし駅は西日本の管轄らしい。
車内まで案内してくれた西日本の職員とこれから乗る列車の運転手が挨拶を交わしていた。
東海の気動車ということでキハ11の2両のワンマンカーだ。
運転手の側の扉から入ってすぐの所にお手洗いが。その後ろがろんぐシートそして中程がセミクロスシートになっていた。
そのセミクロスの進行方向に向う1席を確保した。
車内はまだ時間があるので空いていた・
紀勢本線を普通列車だけで移動しようとするとこの東海区間も特に昼間は列車の間隔が開いて利用しにくい。
しかしこの列車は亀山直通ということでとてもラッキーだった。
接続の列車が遅れるので発車が遅れるという運転手からのアナウンスガあった。
しばらくして京都からのスーパークロシオ13号がやってきた。
約2分ほど遅れて出発。
車内もけっこういっぱいになっていた。
さすがキハ11は加速が良い。
最近よくある軽快気動車らしい走りで変速も自動になっているのであまりおもしろみはないけれど起伏の激しい所を通るのでエンジンの回転音で感じることができるのは楽しみでもある。
ここは数年前まではキハ58・28などが使われていて変速の切り替えなど運転手の腕の見せ所で鉄道というと気動車と思う私などはキハ28・58また31などはとても好きだった。
西日も当たってきて眠気もましてきた。
走行音を録音しながらうとうとしていた。
人の入れ替わりで目をさますと熊野市駅だった。
名古屋方面へのワイドビュー南紀は2時間以上後なので下りの南紀と普通列車と1本ずつ行き違いをしただけで効率よく紀伊長島に到着。
途中で後ろの車両からやってきた男性が運転手に「どこか長い時間の停車がないか」と尋ねていた。
説破詰まったようなかんじなのでトイレなのか。
すぐそばに車内といれがあるのに気づいていないようだった。
  さて紀伊長島では8分の停車。ここで乗務員交代となった。
運転手も亀山までは乗り通さないのだ。
日曜日の京都での出先の近所の喫茶店のマスターの里がこのさきの三重県に入った辺りの三瀬谷(みせだに)ということでメールでもしてみるかと思って三瀬谷駅の到着時刻を携帯で確認して見ると三瀬谷駅でこの列車の50分ほど前に滝行きがある。
どこからきているのだろう。
疑問に思ったが携帯の電池のことも考えてそのときは調べもしなかった。
しかしのちにMLメンバーのかずさんとSKYPEで話していてわかったことだがその列車はこの332Cの2時間半ほど前に新宮を出発した330Cだった。この筋を見て驚いたのはなんと紀伊長島に14時27分に到着して発車するのは16時11ぷん。
これって別の列車といっても良さそうである。
これを乗り通す人はいるのだろうか。
さて紀伊長島からも道は厳しそうだった。
しかしさすがキハ11。カーブは感じるが楽に走行してそうなきがした。
新宮をでた時には西日がおもいっきり当たっていたがきがつくとだいぶ暗くなってきていた。
列車の揺れで眠気が襲ってくるけれどあんまり乗る機会があるわけではないのでできるだけ起きていたい。
いつのまにか三重県に入ってきがつくと三瀬谷駅。
この三瀬谷駅からはどこか旅行にでもいくのか若い女性の二人連れが乗り込んできて通路を挟んだボックスで楽しげにプランを確認したりしていた。
滝から松阪・津辺りでは乗り降りが激しくなってくる。
そして、19時19分新宮を出発して4時間以上かけた旅が終わって亀山へ到着。
和歌山を8時37分に出発して10時間42分で青春18切符使用の紀勢本線縦断達成となった。
しかしここで旅が終わった訳ではなく、ここから戻らなければならない。
亀山駅を降りると目の前に跨線橋があった。
亀山は私の本籍地でもあるのでよく乗り降りしていたので4番ホームから3番ホームに迷わず移動した。
乗り継ぎは7分ということで急ぐことはないがこんな時期なので列車が混んでいそうなきがしたので急いでいどうした。
所が列車がいる気配がない。
ふと気づくと後からきた人が階段の後ろに移動している。
なんと4番ホームにいたさっき乗ってきたキハ11のエンジン音できがつかなかったが階段の後ろ側にキハ120の2両編成が停車していた。
危うく置いていかれる所だった。
この列車が19時26分初の関西本線鴨行き(263D)である。
やはり大阪方面に向う人たちが多いのかけっこういっぱいだった。
定刻に発車。
昔は気動車があえぎながら通過する加太(かぶと)超えでスイッチバックも見られたがこのごろは柘植駅で上下行き違いをするようになってスイッチバックを体験することもなくなってしまった。
加太の手前くらいで前の車両に移動する。
柘植で草津線に乗り換えるつもりなのだが柘植駅ではいちばん前の入り口をでてさらに加茂よりに歩いた所に跨線橋がある。
柘植駅では3・4分しか接続時間がない。
柘植駅ではうまく跨線橋を見つけることができ乗り換えもうまくいったが旅の疲れなのか下り階段で転びそうになりながら乗り換え。
継ぎの草津線は19時58分初(5387M)で113系4両だった。
途中実家に電話をしてみると迎えに来てもらえそうだったので瀬田駅に向うことになった。20時44分定刻に草津到着。
山科に帰るのであればすぐに新快速に接続しているけれど瀬田駅にいくので少し待って21時丁度の普通(843T)で21時5分に瀬田駅に無事到着した。
山科から15時間2分の大回りの旅は終了となった。
秋刀魚寿司は結局実家へのお土産となった。

以上長々と失礼しました。


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