人生最大の乗り鉄


その1「九州への旅路」

みなさん、こんにちは。わかしお@JR東金線求名駅です。
 いよいよ今日から楽しみにしていた九州旅行の始まりです。
それでは、日付ごとに分けて報告を書きますので、しばらくの間おつきあいください。

 東金線の始発電車で求名を出発、大網からは外房線で千葉へ、車両はいずれも113系です。
千葉で総武快速に乗り換え、この車内で、一緒に旅をする先輩のかずっこさんと合流します。
 錦糸町でE231系の総武線各駅停車に乗り換え御茶ノ水へ。そこからは中央線をひたすら行きます。
するとここでサプライズ。なんとすぐに接続する中央特快がE233系だったのです。友人たちに遅れをとること何ヶ月でしょう。やっとわたしも乗ることができたのです。
車内は、シートが柔らかくなっている他、優先席にもスタンションポールが設置され、またそれが握りやすいようにあえて曲がっていること。また、ひじかけの手すりやスタンションポールの材質が違うことやドアエンジンがスクリュー式に戻されているなど、E231系やE531系からずいぶんモデルチェンジをしたように感じました。さらに、モーター音が意外と大きかったことには驚きました。
今回は録音できませんでしたが、今度乗るときは、ぜひ録音をしようと思います。
ちなみに余談ですが、わたしたちが乗った車両の番号は、モハE232−201でした。
 高尾に着き、今度は115系の甲府行きに乗車。上野原以西へ普通電車で行くのは、これが初めてです。大月を過ぎたあたりから、いよいよ電車は山間に入ったようでトンネルが続きます。また、抑速ブレーキを使っているようにも感じましたし、下り勾配があるせいか、発射時の加速が妙に良かった気がします。
甲府からは、またも115系の長野行きに乗車。でも、今度はバケットシートの115系でした。また、小淵沢を過ぎて長野県に入ると、ドアも半自動に変わりました。それにしても、この115系、平野でも妙に加速が良いのです。もしかして、2M1Tの3両編成だったからですかねえ。
 塩尻で下車し、今度は313系の中津川行きに乗り換え、いよいよ中央再選に入ります。ここは普通はおろか、特急列車でもきたことのないいわゆる未乗区間でした。乗ったのがクハだったので、そのぶんあまり楽しみはありませんでしたが、とにかくカーブの多い路線だということがわかりました。これなら不利古式特急車両を導入したくなるのもわかります。また、中央線といえば、狭小限界トンネルが有名ですが、やはりそのせいなのか、トンネルに入ると、いつも以上に気圧が高くなって圧迫感を感じたような気がしました。
 中津川からは、313系の快速名古屋行きに乗車。やはり中津川以南は、だんだんスピード感が増してきます。でも、ここで乗ったのもT車。313系ならこれからいつでも録音できるとはいえ、やはりモハに乗りたかったです。
普通ならここまでくれば名古屋まで行くことでしょう。ところが、ここからわたしたちはさらに遠回りをするのです。名古屋までは行かず、多治見から太多線、美濃太田から高山本線というルートを使い、岐阜まで行ってやっと東海道線に合流するというルートなのです。
多治見で降り、太多線ホームへ行くと、美濃太田行きの気動車が停車していました。なんだろうと思って近づいてみると、それは頑丈な鋼製車体。まさかキハ40系ではないかと思って乗り込みます。でも、ユニット窓ではないうえ、車内はロングシート。そう、これはわたしたちが乗りたかったキハ11系だったのです。
余談ですが、音で車両を見分けるわたしたちでも、電化されているところで育ったためか、アイドリング音で気動車を識別するのは、あまり得意ではないのです。
定刻で多治見を発車。と、ここでわたしたちは、キハ11系の軽やかな走りに感動するのです。そして、綺麗な録音をすることもできました。
美濃太田からは高山線。太多線とともに、これらも未乗区間でした。
高山線もキハ11系でしたが、こちらにはクロスシートがありました。おそらく番台区分があるのかもしれません。また、太多線に比べ、スピードが出ていました。
 岐阜に到着し、やっと東海道線に合流。313系の快速で大垣へ行きます。そこから米原までは、211系5000番台の普通電車に乗りました。でも、やはり大垣〜米原間は、列車の本数が少ないせいか常にこんでいます。
米原からは、223系の新快速でいっきに大阪へ。と、ここでちょっと寄り道をします。
 実はわたしは、前からある切符を集めようと思っていたのです。あまり切符集めを普段は盛んにやらないわたしですが、大阪の隣にある、JR神戸線塚本駅と大阪環状線天満駅の切符が欲しかったのです。これを集めれば、切符でわたしの大好きなアニメキャラクターである「スクールランブル」のヒロイン「塚本天満」という名前が完成するのです。
まず最初は天満へ。無事に切符をゲットして、今度は塚本へ行こうとしました。
ところが、ここで信じられないできごとが。
なんと、神戸線橘駅で人身事故が発生したというのです。わたしたちは、これから姫路へ向かわなくてはなりません。それだけでなく、塚本駅にもまだ行っていません。しかし、ここは迷うことなく後に続く予定を優先させるため、塚本駅の切符ゲットは、残念ながらお預けとなってしまいました。
それにしても参りました。これから姫路へいかなくてはいけないのにこの状況。
しかし、わたしはすぐにひらめきました。「阪神を使おう!」。もし、山陽電鉄まで振り替え乗車が可能ならば、これでとりあえず先へ進むことはできます。
振り替え乗車の開始を待ち、わたしたちは阪神梅田駅へ移動。さらにこのときわたしたちは、阪神梅田への行き方がわからず、近くにいた方に誘導をお願いしたのですが、その方は、「わたしも詳しくないから時間がかかるかもしれない。」と言いながら、阪神の改札まで案内してくださったのです。とてもありがたいできごとでした。それと同時に、今回はこのようなありがたい援助をたくさんしていただいた旅行でした。
 阪神9300系(たぶん)の直通特急で山陽明石へ先回りし、遅れていた新快速に乗り換えて、無事に姫路に到着。どうやらこれから乗る寝台特急「あかつき」には間に合ったようです。
そして、わたしたちが乗るあかつきもおよそ80分遅れて到着。わたしたちは、レガートシートに落ち着き、かなりおそい夕食を食べて眠りにつくのでした。
続く


その2「九州の旅始まる」

 日付が変わる直前に眠りにつき、起きたのは午前3時半。これが定刻ならば、今は新山口あたりを通過しているのかなと予想が付きますが、なにしろ夕べの遅延を引きずっているのですから、どこだかさっぱりわかりません。ただ、ほんとうにカーブの多い山陽本線を西に向かっていることしかわからないのです。
それにしても、このレガートシートというのは、ほんとうにすごいです。シートもゆったりしているし、リクライニングはレバーを操作することで自動で動きますし、それがかなり深くまでかかるのです。さらには、フットレストと毛布まであります。さらには、3列独立ときています。これだけのもので、特急料金のみというのはとてもお得だと思いました。もちろん、テーブルもあります。
 早起きを無駄にしまいと、わたしは携帯でJR九州の時刻表サイトを探すなど、旅を円滑にするための対策を盤石にしていました。そして、このJR九州の時刻表をみてびっくり。なんと携帯サイトなのに列車番号が見られたのです。まあ、JR九州のデータだけだということもあるのでしょうが、このサイトはとてもよかったです。そして、要所要所でこのサイトはこの後かなり参考になるのです。
 データベースが一通り揃うと、今度は洗面を兼ねた車内探検です。あかつきは、わたしたちが乗っているレガートシートの他、個室寝台が3両、B寝台が2両の6両編成でした。しかも車両の仲には、2種類の個室が混在しているものがあるのか、途中で通路が大きく曲がっている所がありました。そして気づいてみれば、わたしはあかつきを越えて、前に連結されているなは号まで到達していました。
結局3号車の洗面台で用事をすませて、自分の席へ戻りました。
 しばらくすると、列車はおよそ1時間遅れて下関に到着。さきほど3号車まで行ったわたしですが、さすがに1号車まで行って、さらに電源車を越えてELの交代を見る気持ちにはなりませんでした。そのかわり、関門トンネルを通過するときの録音をしようと、デッキに立ちます。ところが、これが予想以上に大きな音で、見事に音が割れてしまい失敗。関門トンネルは、まだロングレールになっていなかったので、すばらしいジョイント音を聞くことはできますが、今のわたしの設備では、綺麗に録音ができなかったようです。
トンネルを過ぎ、いよいよ九州に上陸です。わたしにとっては、じつに1年2ヶ月ぶりのことでした。
この後、かずっこさんと予定をどうするか話し合いました。でも、あかつきが遅れているだけで、今後には影響しないということで、予定通り旅を続けるという結論でまとまりました。
 6時57分、およそ65分遅れで、博多に到着。JR九州のオリジナル自動放送を聴くと、「博多にきたんだなあ。」という実感もわいてくるものです。
1度改札を出て、今回九州で使う「九州特急乗り放題切符」の3日間タイプを購入。これを持っていれば、改札の出入りはもちろん、特急と九州新幹線の自由席に乗り放題なのです。
 さあ、いよいよ旅も本番、まず最初に乗ったのは、博多と大分・別府を久留米・湯布院経由で結ぶ特急「ゆふDX」です。これに使用されているのは、キハ183系1000番台です。車内では、かずっこさんが区間録音を試みましたが、あえなく失敗。今回は、特急車両の録音にことごとく苦戦することになるのです。
そして、もう一つ失敗談。ディーゼルエンジンの真上だと思って着席した場所は、
なんと同じディーゼルエンジンでも発電機の上だったのです。とはいえ、シートはゆったりしているし、車内はとても快適でした。そして、日田を過ぎると、いよいよ山間にきたのか、カーブとトンネルが多くなり、スピードもさほど出なくなりました。
 11時、終点の別府に到着。次に乗るのは、11時51分初の特急「ソニック」です。時間があったので、別府駅の自動放送を録音したり、キハ185系や485系の見学をしました。そして、定刻でやってきた883系のソニックに乗車。
しかし、クモハに着席できたまではよくても、またしてもかずっこさんは区間録音に失敗。ちなみに、わたしはかずっこさんよりも長く九州に滞在していられたので、今までは録音にいかずにいたのです。
ソニックの車内では、かずっこさんにホットコーヒーをごちそうしていただきました。このコーヒーのおいしいこと。録音もできなかったし、コーヒーがあるからまたソニックには乗ろうという笑い話にまでなったほどです。
12時58分、再び博多に戻ったわたしたちは、地下街にある店を探してラーメンを食べることにしました。予想したほど迷うこともなく、援助を依頼しながらも無事にラーメン屋を発見!2人で博多ラーメンを味わいました。
 さて、乗り鉄を再開、今度は福岡市営地下鉄です。やはり九州にきたらこれに乗らないと。かずっこさんは、初めての乗車ということで、わたしは車両をはじめとした話をことこまかにしました。
まず乗ったのは、1000系の2レベルIGBT車。そして姪浜まで行ってから、303系に乗り換え、いよいよ筑肥線に入ります。ところが、外は大雨。ということで、立派な屋根がある九大学研都市で降り、103系1500番台を狙いました。
すると、103系はあんがいすぐにやってきました。かずっこさんの希望で狙ったはずなのに、わたしが妙に感動してしまったこの103系。数多く製造された103系の仲でも、1500番台は大幅にモデルチェンジをした最新の番台です。
とは言っても、走りと音は従来の103系そのもの。地下区間に入り、会話も多い中でしたが、かずっこさんは録音に挑んでいました。
天神で降り、今度は2000系を狙います。わたしが乗りたかったというのはもちろんですが、かずっこさんに西武6000系そっくりな車両がいると紹介した
かったからです。
しばらく待つと、姪浜行きで2000系が入線。予想通り、かずっこさんは「6000だ。」と驚いていました。姪浜まで行くと、折り返しは、箱崎線直通の貝塚行きになりました。これは博多にはいかないので、区間録音を成功させ、天神で乗り換えて博多へ戻りました。
 博多からは、今夜宿泊するホテルのある熊本へ移動です。今度乗ったのは、特急「リレーつばめ」。787系は、かなり久々に乗りました。しかあし、ここでも混雑のために録音はできず。切符の価値からいえば、特急を自由に使えるということだけでも価値があるのですが、わたしたちにとってはちょっと残念な1日になってしまいました。
そしてこの車内では、ちょっとした事件が。
ソニックに乗って以来、ホットコーヒーにはまってしまったわたしは、この車内でも夕食の弁当とホットコーヒーを購入。ところが、わたしはかなりの猫舌なんです。そのため、しばらくコーヒーをテーブルに置いたままにしていました。すると、客室乗務員の方がやってきて「蓋をお開けしましょうか?」とても親切でした。でも、わたしは蓋が開けられないのではなく、すぐに飲めないからそのままにしていたのです。「猫舌だからそのままにしていたんです。」なあんて恥ずかしくてとてもいえなかったので、とっさに蓋を開けながら「だいじょうぶです。」と一言。いやいやそれにしても九州の乗務員の方は、ほんとうに親切な方ばかりでした。
 19時51分、熊本に到着。ホテルにも無事に行くことができ、明日からの旅に備えるのでした。
続く


その3「九州を横断」

 昨夜宿泊した熊本駅近くのホテルの部屋からは、鹿児島本線と市電の音を効くことができました。また、熊本駅には貨物列車も入線してきます。そのため、音を聴こうと少しだけ窓を開けて寝たのですが、どうやらすぐに寝てしまったようです。
 さて、今日の旅は熊本から。まずは、九州新幹線を往復するため、普通列車で新八代へ行きました。乗ったのは、815系の普通電車。817系には去年のりましたが、815系は初めてでした。車内はロングシートです。そして驚いたのが座席の形でした。ロングシートといいながらも、窓のない部分は、頭の高さまで背もたれがあり、まるでクロスシートの様でした。そして、隣り合う座席、背もたれはそれぞれ独立し、303系と同じようなシートのスタイルでした。
 新八代からは、九州新幹線を往復です。木目調のクロスシートは独特なものがありました。また、中国語・韓国語の自動放送も初めて聴き、録音もしました。
また、この800系新幹線は、車内の手すり(デッキ)に点字の表示がしてあります。さらに、大型トイレにも点字が書いてあり、水洗のボタンなどを丁寧に案内しています。
 新八代に戻り、今度はいよいよ九州横断特急に乗車し、豊肥本線経由で九州を横断します。キハ185系のディーゼルエンジンの上野シートに落ち着き、迫力ある音を楽しみました。が、またしても綺麗な区間録音には失敗。でも、ここでは記念になる録音をすることができました。それは、いよいよ阿蘇の山を登ろうという館野でのこと。ここでは、スイッチバックがあります。ということは、その後はひたすら山登り、すなわちエンジンをふかしっぱなしの音がとれるのです。
客室内で録音したので、どうしてもノイズがはいってしまいましたが、がんばって山登りをする様子を録音することができました。それにしても、ここはほんとうに急勾配なんですね。キハ185系がどんなにがんばっても時速60kmがいいところだったでしょうか。
 九州横断特急ならば、そのまま大分まで乗るのが普通ですが、わたしたちは気動車の音を求めて豊後竹田で普通列車に乗り換えました。車両はキハ220系1500番台です。そして、ここでやっと綺麗な録音に成功するのです。しかも、エンジンに近づいて録音することを優先したら、左右にかなり広がったジョイント音がとれました。これは予想外のこと。かずっこさんはあまりにも広がりのあるステレオに思わず声を出して笑ってしまいそうになったそうです。
大分に着き、わたしたちは九州内でも秘郷と言われているいわゆる「宗太郎越え」をします。ダイヤを組んでいたらちょうど時間があったのです。
15時50分発の普通南延岡行きに乗車。車両は717系でしたが、半自動非対応・ワンマン運転対応・片側3ドアと、先日仙台で乗った717系とは違う使用になっていました。でも、音は同じ。乗ってしばらくは、音を聴きながら2人でいろいろな話をしていました。
しかし、列車の本数が激減する再帰以南では、線路状態がよくないのか、音も大きくなり、揺れも激しくなりました。と、ここでわたしは録音に挑みます。717系は、先日仙台でも録音していましたが、あれはロングレール区間。ここでは、速度はさほど出ないのですが、ジョイント音がとれるということで録音したのです。録音は成功。かなり重厚な音になりました。
 延岡に着き、今度は南宮崎行きの普通電車に乗り換えました。車両は、713系、通称「サンシャイン」です。こちらも録音に成功。今日は、良い録音ばかりでとても平和です(笑)。また、わたしたちはロングシートに座ったのですが、
クロスシートを見に行くと、とても豪華なシートがあるではありませんか。後で調べてみたら、これは485系の廃車発生品なんだとか。今度乗るときはぜひそこに座りたいと思います。
延岡を過ぎると、また速度も上がりました。やはり山間だったせいなのか、再帰〜延岡はそれほどスピードが出せないのでしょうね。
 20時20分、宮崎に着いたわたしたちは、近くの店で夕食をとりました。そして、ホームライナーで隣の南宮崎へ移動し、今夜乗る夜行特急「ドリームにちりん」を待ちました。なんのために宮崎まできたのかと考えたとき、一瞬「ただきただけか。」と思ってしまいましたが、いやいやそんなことはありません。宗太郎越え、めずらしい車両の録音、そしてなによりドリームにちりんの自由席がどれだけ込むかわからなかったから。無意味な旅なんてないんです。
 23時43分発のドリーム日輪に乗車。無事に席も確保することができました。
ところが、上には、大きな音のする空調が・・・。でも、こんな音の下でも、わたしたちは眠りにつくことができたようです。
続く


その4「1日だけの一人旅」

 起きてみると、時刻は午前3時半、列車は大分駅に停車していました。それにしても、客の出入りは多いし、意外と寒い。早く発車してほしかったです。
発車すると、わたしは席を立ち、洗面をしに行きました。そしてそれが終わると、いかにして録音をしようか考えながら、ポイントを探しました。なんとかなるだろうと思って席に戻り、宇佐着善に再び席を立ち、デッキへ。783系は車両の中央にドアがあるため、端のデッキであれば、乗降客の足音などが入ることはありません。結局音が少し割れてしまいましたが、宇佐〜柳ヶ浦間で録音に成功。
席へ戻りました。
そして、行橋で降り、後続の普通電車を待ちます。やってきたのは、813系の門司港行き。これで小倉まで行き、かずっこさんは新幹線で東京へ帰るということで、わたしは小倉から一人になりました。
 小倉からは、885系のソニックに乗り、博多へ移動。しかし、ここでも録音に失敗してしまいました。結局この旅行では、883−885系の録音に成功することはありませんでした。
 博多からは、783系のかもめで諫早へ。実はここへきた目的は、キハ66系の録音だったのです。
ところが、電車の走る地域で育ったわたしには、気動車のアイドリング音だけで車両を識別するのが難しいのか、佐世保行きの快速「シーサイドライナー」がキハ66系だったのに、乗りのがしてしまいます。そして、次にやってきた長与経由の長崎行きはキハ200系。時刻表を見ると、長距離を走る列車はしばらくありません。すると、大村線の普通列車竹松行きでキハ66系が入線。竹松までは、4駅しかありませんが、往復すればだいじょうぶだろうと思い、乗ってみることにしました。
キハ66系の竹松行きで諫早〜竹松間を往復。しかし、原因不明のノイズが入るなどしたため、決して良い音にはなりませんでした。まあ、普通列車ですから青春18切符でも乗ることができますし、長崎本線の旧線(喜々津=〜長与〜浦上)の乗りつぶしもできなかったので、キハ66系の綺麗な録音は、そのときにお預けと行った所でしょうか。でも、乗れただけでもよかったです。117系とほぼ同じような豪華なクロスシート、そして大出力のエンジン。やはり気動車には気動車ならではの魅力がありますね。
諫早からは、再び783系のかもめで博多へ戻り、今度は福岡市営地下鉄2000系の地上区間での録音をしようと2000系で筑前前原まで行きました。ところが、会話と空調にはばまれて失敗。結局なにもできないまま博多に戻ってきました。
 時刻は午後3時、またも地下街でラーメンを食べ、旅を再開します。
今度は、813系IGBT・811系の録音をすべく、鹿児島本線の博多〜スペースワールド間をうろうろしました。驚いたのは、鹿児島本線は夕方になっても全く込まないこと。おそらく客は特急やバスに流れているのでしょう。九州のような地方都市から地方都市への移動が盛んな地方では、きっとこういうことが少なくないのかもしれませんね。でも、おかげで目標にしていた車両の録音ができました。
そして、時刻はまもなく19時、わたしは折尾から若松までの筑豊本線(若松線)を乗りつぶそうと折尾で下車。キハ40系列で折尾〜若松間を往復しました。これで、去年乗った福北ゆたか線とあわせて、筑豊本線も前線乗ったことになります。
折尾に戻り、813系GTO車の録音もしつつ、博多へ帰りました。途中古河では、ムーンライト九州の通過を録音。ただ、最後の風邪をよけきれず、ちょっと最後尾の発電機の音が乱れてしまいました。
そして、古河から乗った811系の車内で、わたしは長らく抱いていたなぞを解決することになるのです。811系は、車橋部イガイは転換クロスシートになっているはずですが、わたしが乗ったクロスシートは、車橋部でもないのにボックス状態になっていました。それをなんとか転換できないかとシートをさぐっていました。でも、特急車のようなペダルがあるわけでもないのに、いったいどうするんだろう。すると、最後尾だったこともあり、筑前新宮での停車時間中に車掌さんに声をかけられました。わたしはせっかくなので、シートを戻してもらうと同時に、転換のしかたを教えていただきました。まあまあ、話は簡単。背もたれを倒すことによって、シートの向きが決まるという構造ではないですか。でも、内申はすごく感動しました。また、声をかけていただいた車掌さんにも感謝。いかにも九州の方だなという感じの親切な方でした。録音はもう終えていましたが、乗り鉄の最後でこんなことを学べたことは、とても嬉しかったです。それと同時に、これだから背もたれの背面もバケットのへこみがあるんだと納得できました。
21時50分頃、博多に到着。フリー切符を提示して改札を出た瞬間、4日間にわたる乗り鉄が終わったのです。でも、旅はもう少し続きます。
この後わたしは、博多駅の地下鉄乗り場で、飛行機で福岡へやってきた母と合流し、地下鉄箱崎線沿線のホテルへ。そして、また明日に備えるのでした。
続く


最終回「門司港観光とはやぶさ」

わかしおです。「乗り鉄」というタイトルですが、今回が最終回にして番外編のようなものです。どうぞ最後までのおつきあいをよろしくお願いします。

 乗り鉄は昨日で終わりました。今日は、母と2人で九州の知り合い2軒を訪ねます。
まずは、北九州市内の知人を訪ねるべく、門司港へ向かいました。博多までの地下鉄は、中洲川端までが2000系、博多までが1000系2レベルIGBT車でした。そして博多からは、特急「ソニック」5号で小倉、813系の普通電車で門司港へ。ここで知人と合流。ところが、その前に母と見た光景がすごかった。
まず母は、門司港駅の駅舎に感激。そして、わたしもホーム先端に建てられていた九州の鉄道開業100周年の石碑に感激。なにに感激したかといえば、その石碑には「JR九州」ではなく、「日本国有鉄道九州総局」の文字が刻まれていたことでした。
そしてトイレに行ってさらにびっくり。水の音を頼りに手を洗おうと水道を探します。しかし、ここへきてわたしは唖然。本来なにもなく、その奥に水道があるはずのところに、おおきな桶があったのです。中には水がいっぱいに入っています。いったいこれはなんなのだろうか。まちがっても飲み水ではなさそう。でも、はたしてこれで手を洗って良いものなのか?結局考えてもわからなかったので、なにもせずに外へ出てきてしまいました。
 さて、知人と合流したわたしたちは、家におじゃまするのではなく、門司港の観光をしました。駅の目の前はもう海。そして駅が示す名の通り、門司港はすぐそばでした。静かな中を船の霧笛が響き、まるでドラマのロケ地のような所でした。そしてしばらくすると、わたしたち3人は、15分間の門司港クルージング(遊覧船)をすることに。ガイドのスピーカーが非常に聴きにくかったのが残念でしたが、関門トンネルや壇ノ浦の戦いの歴史などを知ることができました。
今度は、駅近くにある鉄道記念館に行ってきました。ここは、車両を展示している他、かつて使われていたものなども展示されています。まず見たのは車両。EF10型・ED72型などの電気機関車やクハ481型・クハネ581型などが展示されていました。また展示品のコーナーには、かつて切符を切るのに使っていたはさみや「つばめ」などのヘッドマークなどが展示されていました。鉄道ファンには必見といえるような門司港のスポットでした。
 観光が終わり、母とわたしはもう1軒の知人を訪ねるため福岡市内へ戻ります。
813系で小倉へ、途中門司で知人と分かれました。時間がなかったため、小倉〜博多間はひかりレールスター(700系)で移動。昼食を食べてから福岡市営2000系で姪浜へ行き、タクシーで知人の家に到着。2時間ほどお邪魔し、いろいろな話をすることができました。
 家から博多駅まではタクシーで移動し、いよいよ寝台特急「はやぶさ」で東京へ帰ります。今回わたしたちが乗るのは、B寝台個室「ソロ」です。わたしたちは、9号車の5−6番を予約していました。母はどちらの部屋でもよいということだったので、わたしは下段の5番を使うことにしました。
室内は、B寝台と同じ設備の他、テーブルが2つあり、ドアの鍵もかけられるなど、充実した設備でした。これだけ安心できる部屋なら、わざわざA個室をとらなくても十分だと思うほど。逆にBの値段でこれだけの個室なら十分すぎるとまで思うほどでした。
 列車は小倉を発車しました。このときわたしは、大分からの寝台特急「富士」との連結を前にそれを案内する放送をするだろうと思い、小倉発車後の放送を録音。そして、今回の乗車での最大の楽しみである連結作業を見るため、門司に到着すると、後方へ向かって歩き出しました。そしてこの後、わたしはとてもスリリングな光景をまのあたりにするのです。
はやぶさは、まず門司駅の6番乗り場に到着。わたしが、最後尾の7号車後方のデッキに着いたころには、向かい側の5番乗り場に富士が入ってきました。しばらくするとドアが閉まります。やがてエアーの抜けるような音がして、またドアが開きます。おそらく「ドアカット」に近いことをして、7号車の後ろのドアだけを開けたのでしょう。ドアが開くと、作業員が乗車します。一人ではなかったので、わたしはデッキの隅へ移動。すると、列車はドアを開けたまま前進し、ホームの外へ引き上げました。すると、「危ないので中に入っててもらえますか?」と声をかけられました。状況を悟ったわたしは、素直に7号車の客室に入ります。
でも、このまま部屋に帰るわけにもいかなかったので、B寝台車の壁にそなえられている収納式の椅子を出し、そこに座ってドア越しに見学を続行することにしました。
やがてホームでもないのに左側のドアも開き、さらに数人の作業員が乗車。デッキハたちまち作業員でいっぱいになってしまいました。このときわたしは、「客車どうしの連結は、やっぱり大変だ。」ということを早くも感じてしまいました。
作業員が乗り込むと、列車はドアを開けたままホームへ向かって後退し始めます。
無線の音がしたので、おそらく作業員と機関士は、これで連絡をとりながら連結作業を進めて行ったのでしょう。何度か停車した後、いよいよ富士の6号車と連結。エアホースや渡り板の取り付けを終え、作業は完了。ここまで見て、部屋に戻りましたが、なんとスリリングな光景だったことか。今や連結も自動でできるようになり、時間もかからなくなりました。また、自動でなかったとしても、電車の連結作業しか知らなかったわたしは、「列車の連結作業中に自己に遭い、足を切断した人もいる。」という話を聴いても、どうしてそうなるのかよく理解できていませんでした。でも、今日この作業を見て、実際そういうこともあっても不思議ではないのかなと思いました。客車の連結は、時間もかかるし、危険な作業だということがよくわかりました。
 時刻は夜9時を過ぎ、お休みの放送も流れました。これを録音すると、わたしも寝台を整えて就寝です。

起きると時刻は、5時30分になろうとしていました。すでに名古屋を過ぎているのだと思っていたら、しばらくして名古屋に到着。どうやら少し遅延していたようです。そして、午前6時10分、朝の放送が流れます。これを録音し、浜松に到着すると、わたしは再び寝ます。連日の寝不足のせいなのか、ここから熱海までは、放送の度に起き、駅を出ると寝るということを繰り返しました。
 9時58分、はやぶさは定刻で終点の東京に到着。用事があったので、家に着いたのは夕方でしたが、旅は終わりました。
今回は、とても長く大きな旅でした。でも、初めての体験や初めて乗った路線・車両などがたくさんあり、とても充実した旅行になりました。長いレポートにおつきあいいただきまして、ありがとうございました。


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