今年もgwが近づいてきた。今年は4月の30日と5月の3日から5日が仕事の休みとなっているのだが、5月の3日と4日はグランドソフトボールの試合に出るため、愛知県の一宮に行くことになっている。よって、自由な時間が使えるのは4月30日と5月の5日だけというちょっと寂しい休みになってしまった。
しかし、ソフトボールも楽しいし、行き帰りには列車にも乗れるし、まあ良いかなあとも思っていた。
そんなときに、gqsさんから高松琴平電鉄の旧型電車の運転スケジュールのメールがアップされ、これを見て、5月5日はこれに行くことに決まった。さて、ここに行くための手段である。
一番簡単なのは5月5日の朝早く家を出ればよいのではあるが、その前の日にグランドソフトの試合もあるので、朝5時前に起きる自信が無かった。これならいっそのこと、夜行列車か夜行バスに乗り、その中で過ごした方が楽ではないかと考えたのであった。
しかし、大阪から高松に行く夜行バスは運転していない。あまりにも近すぎるのである。ということで、それではと、ムーンライト高知で土讃線の阿波池田まで行き、ここから琴平まで戻れば、午前6時半くらいには高松琴平電鉄の琴平駅に行くことができると考え、早速私の家から一番近いjr京橋駅に行ってムーンライト高知の指定席券を手に入れようとした。
しかし、なんとなんとこの期間にはムーンライト高知は運転がなかった。去年までは運転があったし、この春休みには運転されていたのになんたることかとがっかりした。やはり青春18切符シーズン以外では、利用者がかなり少なくなっているのかなあとも思えた。今や近畿から四国への交通手段は、もはや列車ではなく、圧倒的にマイカーか高速バスに取って代わられてしまっているのである。
それではと、バス会社に聞いてみた。すると、5月4日の大阪阪急三番街から高知に行く22時30分発の阪急バスに少々の空席があるとのことで、早速予約した。なんと真ん中の席でなく、窓際の席があった。なかなかラッキーであった。
このバスは5月5日の午前5時45分にjr高知駅に着くことになっているので、高知発午前6時の岡山行き南風2号に乗ることができ、琴平には午前7時半過ぎに到着できる。jr琴平から琴電の琴平まではまっすぐな道を数分歩くと到着できるので、乗り換えはそんなに大変でもないし、これで高松琴平電鉄の件は解決である。
jr高松から高松琴平電鉄の高松築港駅までもそんなに遠くはないのだが、jr高松駅がものすごく広い広場の真ん中のような所にあり、ここからどこかに行こうとすると、広場みたいな所をまっすぐでなく斜めに歩いて道路に出ないといけないので、我々にとってはきわめて方向を定めにくいのである。何度となく単独での乗り換えを試みたが、結局迷ってしまい、どなたかに道を聞いて案内してもらうことになってしまった。
またこのjr高松駅周辺にやってくる方々は、必ずしも列車でやってくる方々ばかりでなく、バスやマイカーでやってくる人々もたくさんいるようだ。そのため、そういう人々に高松琴平電鉄の高松築港駅の場所を聞いても解らない人が多いのである。そのため、ある時などは、10人くらいに尋ねてやっと連れて行ってもらったという経験をしたこともある。
地方都市のローカル私鉄の地位はやはりかなりダウンしてしまっているようである。私から見れば、すごく残念な話である。
次に4月30日の予定をどうするかであったが、これがなかなか決まらなかった。5月の1日と2日は仕事だし、3日はすごく早起きして愛知県に行かないといけないし、あまり遠くにも行けないなあとは考えてはいた。
まあそれなりの所と言うことで、松山の伊予鉄道にでも乗ってこようか、また山陰の一畑電車の懐かしい元南海21000系のズームカーにでも乗ってこようかなどと考え、松山と松江に行く夜行バスの空き席を尋ねては見たが、当然のことながら満席であった。さてどうしようかなあと考えながら4月29日あまり行きたくはなかったが、仕事に行った。
仕事は午後3時過ぎに終わった。そしてまたまたダメ元でバス会社に聞いてみた。するとなんとなんと松江から出雲に行くバスに1席だけ空席があるとの情報が入った。早速予約しようと思ったが、もう電話での予約はできず、梅田の阪急三番街のバス乗り場に乗車券を買いに行くか、旅行会社で買う樫か無かった。
梅田まで行っていると、その間に売り切れてしまうことも予想される。早速家の近くのjtbに急行した。しかし、jtbは思いの外混雑していた。私の番が来るまでに30分以上も待たされた。
その間に売り切れてしまっていればどうしようかとだんだん不安になってきた。
そしてjtbのお姉さんに内容を伝えると、早速予約のための電話開始。結果はまだ売り切れていなかった。これはこれはなんと運の良いことか。これからの旅がすごく有意義なものになりそうな予感がした。
そして与えられた座席もこれまた9番のcというなんと窓際の蹠。これまたラッキーであった。たぶんどなたかのキャンセルだろう。
これはついているぞと旅に期待を膨らませた。
しかし、家に帰ってニュースを聞いてみると、なんとなんと環状線の桃谷駅で視覚障害者の夫婦がホームから転落し、電車にひかれて重傷というこれまたすごく痛ましいニュースが飛び込んできた。
当然ながら、家の人は、「人も多いし、あんたもこういうことになったらどうするのや。やめとけ。」とあっさりと言われてしまった。しかし、「念には念を入れてゆっくりと行くから行ってくる。」と言ってやはり行くことにした。
こんなにラッキーに乗車券を手に入れることができたのだし、きっと良いことがあると信じて家を出た。結局は、かなり危ないこともあったが、結果的にはラッキーと言うこととなり、すべてめでたしめでたしで帰宅することにはなった。
ではここで一端終わります。
このバスを予約したのが4月26日であった。運が良かった。
4月29日の22時40分頃、梅田阪急三番街の高速バス乗り場に到着。アクエリアスを買っていよいよラッキーにも空席にありついた中国jrバスの出雲市駅行きに乗車。結局出雲市まで乗ることにした。バスは、三菱ふそうのたぶん2000年製くらいのエアロクイーンのスーパーハイデッカーだった。2台での運転で座席はすべて満席。
梅田から新御堂筋、中央環状線を経て池田インターから中国縦貫高速道路に。
途中米子自動車道路の蒜山パーキングでなんと3時間もの長い長い停車。これは運転手の仮眠と時間調整である。最近では、距離にして400kmあるかないかくらいの夜行としては比較的距離が短い夜行バスがたくさん運転されるようになった。
これらのバスは、運転手二人常務でなく、一人常務なのである。そして途中のパーキングエリアで2時間から3時間程度の仮眠を取るのである。かなり運転手にとってはきつい勤務だとは思うが、このようなこともしないとバス会社も苦しいのかもしれない。
安全面を考えると、やはり鉄道の方が部がある。こういう状態をいかに考えるべきか。
そうこうするうちに、午前6時45分くらいにまずはjr松江駅に到着。ここまでほとんど高速ばかりであった。私は、てっきり、米子からは国道9号線を走るのだと思っていたが、山陰地方にも着実に高速道路が建設されているようだ。
鉄道が圧倒的優位とされていたjr山陰線の鳥取県から島根県地区ももうそういう時代は終わったようだ。
松江からもほとんどの道が信号のない高速道路であった。もう出雲市内まで高速道路ができているようだ。これは特急やくもにとっては強敵である。しかしながら、現在の山陰線の設備では、これ以上のスピードアップはもはや限界である。
今後jrはどうしていくか手を打たないといけないようだ。
といううちに午前7時30分くらいに出雲市駅前に到着。
バスから降りると少し肌寒い。やはり大阪よりも気温は低いようだ。さて、これからの予定だが、まずは一畑電車で松江しんじ湖温泉まで行き、再び出雲市まで戻り、午前10時50分発の米子行きの列車で宍道まで行き、ここから木次線に乗ることにした。
木次線は終点の備後落合まで行く列車が1日3往復しかないので、絶対10時50分の米子行きには乗らないといけないのである。
ということで、まだ全く店の開いていないjrの高架下を歩いて、一畑電車の電鉄出雲市駅へ。改札口はまだ閑散としていた。駅員がいるのかいないのかよく判らなかった。待合室はあるようで、nhkのテレビがかかっていた。たぶんまだ地上デジタルではないのだろうなあと思っていると、駅員とお客さんが話している声が聞こえたので、そこに行って松江しんじ湖温泉までの切符を購入。
一畑電車は単独でも障害者割引が使えた。松江しんじ湖温泉まで340円だった。
地方私鉄としてはかなりお得な運賃である。良くがんばっていると思う。
そして8時前、列車の改札を告げる放送とともに、改札口が開いた。これは地方式の改札である。
改札口でこれまたjrではとっくの昔になくなったはさみを入れてもらい、高架のホームに上がった。待ってくれていた電車は、元南海高野線の21000系のズームカー。
全長17mの片開きの扉が2カ所付いていた。そして小さな窓。相当にくたびれてよれよれというかふかふかというかずぼずぼというか、相当に柔らかくなっていて、腰痛持ちの方が座るともう痛くて耐えられなくなりそうなシートといい、すごく懐かしかった。
そして「トトトトトトトト」というあの南海電鉄独特のコンプレッサーも健在であった。もう懐かしくて感激していた。あちこち触りまくっていた。たぶん乗り合わせたお客さんから見れば、いったいこの人目が悪いのになにをしているのだろうなあ。迷っているのかなあなどとちょっと迷惑をかけてしまったかもしれない。
でもそれは解っていてもついつい夢中になってしまった。そうこうしているうちに出発。モーター音も全く同じであった。
そして約1時間懐かしい車両の走りを楽しんだ。車両は製造されてからすでに50年近くたっているので、お世辞にも乗り心地が良いというわけでもなかった。
かなり上下にも揺れていた。やはり南海時代から見れば、老朽化はかなり進んでいた。しかし、かなり高速で走るところもあり、その付近では、南海線の堺東と北野田の間を高速で走る場面もよみがえってきそうだった。
約1時間で松江しんじ湖温泉に到着。ここで一端改札口を出た。そして駅員さんに聞いたところ、今の南海の電車が出雲市に折り返す前に、京王電鉄5000系の出雲大社行きの急行が先に発車すると言うことが解り、それではせっかくなので京王の車両にも乗ることにして、再び電鉄出雲市までの切符を購入。
そうこうしているうちに、今度は京王5000軽の車体と元営団地下鉄日比谷線の3000系の台車とモーターを組み合わせた列車が出発。この組み合わせは、一畑電車以外にも、富士急行でも使われている。
南海21000系よりも車齢が若いだけあって、乗り心地はかなり良かった。モーター音も静かで、また急行と言うこともあって、快調に走っていた。そして約40分で出雲大社へ分かれる川跡「かわと」に到着。ここで出雲大社まで行こうかとも思ったが、もし出雲市行きの列車に乗り遅れたら大変なことになるので、安全を考えて、ここで後からくる出雲市行きを待つことにした。
京王5000系の車両はまだまだがんばれそうだ。でも南海の車両はそろそろ引退を考えてもよさそうだった。
そうこうしているうちに、出雲市行きの南海の車両がやってきた。無事に出雲市駅に到着。少し歩いて、jr出雲市駅へ。
朝の7時半頃は静かだったjrの駅も、蕎麦屋も開店していて、かなり混雑していた。10時50分まで10分くらいしか時間がなかったので、果たして切符が買えるかどうか心配だったが、無事に切符を購入。備後落合だと100kmを超えないので、備後西城まで購入。
そしてこの駅にもあの桃谷駅での事故のことが伝わっていたようで、駅員が出てきて、「どこまで乗車されますか。では宍道駅に連絡しておきます。」と乗り換えの手配をしてくださった。
高架のホームに上がりしばらくすると、キハ47系の2両編成が到着。米子行きの各駅停車である。冷房のエンジンも回っていて、車内はひんやりとしていた。
エンジンの音が唸り、発車。エンジンは最新のものに交換されているとはいえ、キハ47は必死で山陰線を走り、宍道に到着。ドアが開いてホームに降りると、駅員が迎えに来てくださっていた。跨線橋を渡って、木次線の備後落合行きのキハ120系のステンレスでない鋼製の列車に乗車。
このキハ120系は一番初期のタイプで、車体は鋼製で、窓も下から上に向かって開けることができるものであった。
いよいよ備後落合に向かって出発。駅間はかなり長いものの、カーブが多いのか、線路の状態があまり良くないのか、そんなにスピードを上げることなく走行。
場所によっては、ギアが直結1段目にも入らず、変速段のままエンジンを唸らせながら走行することも多かった。
そして約1時間少しで出雲横田に到着。ここからはいよいよ1000分の33というjr屈指の急勾配と3段式スイッチバックという難所中の難所に挑むのである。この出雲横田から備後落合の区間は、なんと列車回数が1日3往復しかないというこれまた秘境といってよい線区なのである。
いよいよ出雲横田を出発。次の矢川まではそれなりに快調に走ったが、矢川から出雲坂根の間で例の3段式のスイッチバックを迎える。それこそずっと変速段で強力馬力のキハ120系もエンジンが唸りっぱなしである。速度はというと、たぶん40km出ているかいないかくらいだろう。
そしてスイッチバックのたびに運転手が車内を行き来していた。そして約40分くらいかけて、中国地方で一番高い三井野原駅に到着。ここからは今度は急勾配をずっとブレーキをかけながら慎重に下り続け、やっとの思いで備後落合に到着。
本当に秘境と言うにふさわしい線区である。しかし以前はこの線にも立派に急行が走っていたとは今からは全く想像もできないのが事実である。
たぶん約30年近く前なら、この線区も相当ににぎわっていたに違いなかったのだろう。
備後落合では、なんとなんと三次行きと新見行きに接続しているのである。この列車が1日のうちで最初で最後のちゃんと連絡のある列車なのである。
この列車は、宍道駅を11時18分に出て、備後落合に13時55分に到着する。そして13時59分に三次行きが、14時00分に新見行きがそれぞれ出発するのである。
三次行きは1日7本、新見行きはこれまたなんと3本なのである。
さて、備後落合からは、やはり木次線を戻ることにした。最近なんだか往復しないと乗車したという気がしなくなってきたのである。
元来た線を最初はゆっくりと上り、今度は3段式スイッチバックの区間をゆっくりと下って、出雲横田に到着。ここで約1時間の休憩である。列車自体が1時間近く停車するのである。
さてここで遅いながら昼食としたい。駅員に聞いたところ、これまた運がよいことに近くに食事もある喫茶店があるということで、案内してくださった。
ここでコーヒーとかつライスをいただいた。この食事がとても重要な食事となるのであった。
ゆっくり休憩した後、また列車に乗車、その前に出雲横田駅で備後落合から大阪までの切符を買った。もちろん特急八雲と新幹線の自由席で帰宅することとなった。というかそのルートしか帰ることができないのである。
そして列車に乗り、出発。ちょうどクラブから帰るのかかなりたくさんの高校生が乗車していたが、途中でいつの間にか降りてしまい、静かになった。
相変わらず駅間は長いのだがなぜかゆっくりと走り、17時38分に宍道駅に到着。
ここからは特急やくもに乗り、まっすぐ帰るだけなのだが、この木次線とやくもとの連絡がきわめて悪い。次のやくもは、18時30分過ぎまでないのである。しかもそのやくもが最終なのである。
出雲市と大阪よりもずっと距離のある東京や横浜、博多や小倉などでは、これからゆっくりと食事をしても列車はいくらでもある。しかし、ここ出雲では、大阪に帰る列車は18時台で最終なのである。やはり大阪と山陰は遠いのである。
出雲市から特急に乗っても良かったのだが、せっかくなので、ローカルにも乗ってあげようと言うことで、特急券は米子からとし、米子まで各駅停車で行くことにした。またまたキハ47系だった。
単線とはいえ電化されているし、線路状態も比較的良いので、キハ47系は必死で走っていた。でも山陰線はカーブも多く、振り子式でないので、せっかく苦労してスピードに乗っても、カーブで落とさないといけないのである。落としてからはそのまま惰性で次の駅までかなり速度が落ちても行く場合と、再び必死こいでエンジンを吹かして90kmくらいまで持って行く場合とがあった。
そして米子に到着。やくもまで少し時間があったので、弁当を売っていないかと探したが、すでに19時前で弁当屋は閉店。
次のやくも30号には車内販売はないとのことで、家まで我慢しないといけないことになってしまった。
そうこうしているうちにやくも30号が到着。車内は思ったよりも空いていて、あっさりと着席。そしてさすが381系の特急電車。気動車とは比べるまでもなく、快適に走った。倉敷までは。
しかし、倉敷で3分たっても5分たっても動かない。さてどうしたものかと思っていたときに無情にも「現在岡山駅と高島駅の間で踏切事故が発生していて、警察の現場検証が行われています。運転再開まで少々時間がかかりますので、申し訳ありませんがしばらく停車します。」とのアナウンス。
時刻はすでに21時30分。果たしてこの先どうなるのか真剣に考えないといけなくなった。まずは家に電話。当然しかられた。でもどうすることもできないので、最悪は岡山か倉敷のビジネスホテルに宿泊して、そこから職場に向かうと伝えた。
21時40分を過ぎてもまだ動かない。真剣に倉敷でホテルを探そうか、岡山で探した方がよいのか考え始めた。
岡山なら、午前7時過ぎの新幹線に乗れば仕事には充分に間に合う。倉敷なら30分くらいは早くでないといけない。やはり岡山で探そうか。
そうこう考えているうちに、21時50分くらいになり、「大変長らくお待たせいたしました。ただいまから運転を再開します。信号が変わり次第岡山に向けて出発します。」とのアナウンス。
そしてしばらくして列車は動き出した。やれやれこれで何とか帰れる可能性が出てきた。まあ最悪は、環状線の京橋からタクシーでも良いかなあとも考え始めた。
動き始めたが、いつもの特急のスピードでなく、50kmくらいでゆっくりと走行していたが、完全に停車することはなかった。そして普段なら10分くらいで行くところを、倍の20分くらいかかって、22時10分過ぎにやっと岡山に到着。これで家に確実に帰ることができるようになった。
22時33分発のひかりレールスターに無事に乗車することができ、タクシーにも乗らずに無事に家に帰ることができた。
やはり今回の旅は本当に運が良かったのかもしれない。ということで、4月30日のレポートを終わります。
5月1日に日にちが変わった頃に無事に家に帰ることができ、1日と2日は無事に仕事に行くことができた。そして3日と4日は愛知県の一宮で行われた中日本グランドソフトボール大会に参加した。3日は比較的強くないチームと当たり、2勝できたが、4日は優勝候補の筆頭のチームと当たり、完敗した。
そして予定よりも2時間くらい早く、尾張一宮駅にやってくることができた。チームとしては残念ではあるが、私としては都合が良かった。これで家で少しゆっくりできる。
私と高槻市に住んでいるチームのメンバー二人の合計3名はjr一宮から快速で帰ることにした。他のチームのメンバーは、名古屋までjrで行き、名古屋から近鉄のアーバンライナーで帰ることとなっていた。
近鉄組からは、「少しくらい安くても、この疲れているときに座れるかどうかも解らない電車に2時間以上も良く乗って帰る気になれるなあ。」とのあきれた言葉も聞かれたが、私は別に名古屋でお土産を買う予定もないし、だらだらと待ち時間を過ごすよりも電車に乗っている方がよいので、快速を選んだのである。高槻市の方は、快速の方が圧倒的に安くて速いのである。
切符を買おうと緑の窓口に行ったが、長蛇の列だったので、最低区間を買い、後は下車駅で精算することとした。名古屋近辺では、緑の窓口がとかく混雑するのである。理由は簡単で、みんな新幹線の指定席を買うからである。名古屋からだと、東京方面はもちろん、新大阪方面でも時間帯によっては自由席に座れないことが多いからである。
東京や新大阪なら、少し並んで始発の自由席を狙うことができるが、名古屋ではそれはほとんどできないのである。
そうこうしているうちに、米原行きの313系の一番新しい車両が到着。快適に走った。席にも座れた。米原からは、223系の新快速。相変わらずすばらしい走りで大阪に到着。環状線で京橋に行き、ここで精算してjrは終わった。
夕方の18時くらいに家に帰って、夕食を食べ、風呂に入って少しゆっくりした。そしてicレコーダーに新しい電池を入れて、いざ出発。今回は高松琴平電鉄の旧型車両を思いっきり乗車と録音を楽しむ予定である。
そして22時くらいに例のごとく梅田の阪急三番街の高速バス乗り場に到着。
22時30分発の高知行きの出発には少し時間がある。しかしながら、この時間は夜行バスの出発のゴールデンタイムである。
寝台列車や夜行列車が減少の一途をたどっているのとは反対に、夜行バスは、近年その勢力をさらに増している。特に3列独立シートの約半額という値段のごく普通の二人がけの座席を使う観光バスを利用した格安夜行バスが急成長している。
最近では、車での長距離移動にも慣れている人が多いようで、とにかく座れれば良いという客が増えているようである。基本的に車では、寝台車のように完全に横になるということはなかなか難しいので、もはや移動中は横になるということ自体の考えが思い浮かばないのかもしれない。
そんなことを考えている間にも、次々とバスが出ていく。まずは、22時発の小倉経由博多行きがなんと4台で出発。もちろんすべて満席。
次に東京池袋行き、続いて山口県下関行き、続いて上野駅経由東京ディズニーランド経由千葉中央行き、はたまた横浜駅経由品川行きといずれも1台での運転ではあるが、続々と出発。
そしてなんとなんと22時25分発の徳島行きが2台で出発。当然乗車率は80パーセント程度。
70人近くの方々が、深夜1時くらいに徳島駅に降り立つのである。とは言ってもこんな時間に列車もバスも動いているはずはなく、帰る手段としては、徒歩・タクシー・自分で車を運転する・そして家族に車で迎えに来てもらうのいずれかである。
徒歩という方はそんなには多くないと思うので、大半が車を運転して帰るか、家族に迎えに来てもらうのだろう。それにしても家族も大変である。奥さんは旦那さんや子供のためにこんな時間まで起きていて、しかも迎えにまで来てくれるのだろうか。いやいやけなげである。また旦那さんは、お酒も飲まずに奥さんや子供たちの帰宅をずっと待っているのだろうか。だいぶかわいそうである。
しかし、車社会であることがこんなバスのダイヤが成り立つのである。
そうこうしているうちに、私が乗る高知行きが2台で到着。今回も運良く窓際の座席。これも誰かキャンセルしてくれたもののが回ってきたのだろう。いやいや4月30日といいラッキーである。
満席となり出発。車両はやはり今回も三菱ふそうの2000年以降に作られたエアロクイーンのスーパーハイデッカー。まだまだ大阪の高速バスには最新の新車は少ないようである。
夜行の高知行きは明石大橋でなく山陽自動車道路から瀬戸大橋を経由する。理由は、路線確保と言うことらしい。明石大橋経由と瀬戸大橋経由両方を路線として持っていれば、どちらかが通行止めになった場合でもすぐに迂回運転できるらしい。
うとうとしているうちに、気がつけばはりまや橋。jr高知駅はもうすぐ。そして5月5日の午前5時35分頃jr高知駅に到着。運転手さんが親切な方で、駅の改札口まで案内してくださった。
すでに、高知駅の1番線には6時発の南風2号岡山行きの2000系気動車がエンジン音を高鳴らせて停車していた。
私は、窓口で琴平までの乗車券と特急券を購入。帰りは高松から乗るか、琴平から乗るかまだ決めていなかったので、とりあえずは琴平までとした。
特急券の方が乗車券よりも遥かに金額が高かった。
いくら5月5日とは言っても、さすが午前6時発の南風にはまだ座席には余裕があり、簡単に座れた。そして出発。気動車らしからぬすばらしい加速であっという間に100km以上の速度で高知平野を突っ走っていた。
高知駅も近いうちに高架駅に生まれ変わるらしい。
わずか10分ちょっとで土佐山田に到着。ここまでは平地で100km以上で突っ走ってきたが、ここから琴平までは山岳地帯となり、急勾配と急カーブの連続で、振り子を使ってもなかなか90km以上で走行できるところは少なくなる。
土佐山田からは急勾配となり、四国で一番高い繁藤駅まで一気に駆け上がる。
速度は80km位か。そして大杉・大歩危と停車し、徳島線との分岐駅の阿波池田に到着。ここから猪鼻峠というかなり急な峠をもう一つ越えると琴平に到着。高知から約90分くらいであった。
琴平から高松琴平電鉄の琴電琴平駅までは、ほとんどまっすぐに歩いて200mほどではあるが、間を結ぶ点字ブロックがないので、行き過ぎないようにしないといけない。そして慎重に歩いて駅に到着。いよいよ高松琴平電鉄に1日乗るのである。1日乗車券1200円を早速購入。非常にリーズ殴るな値段である。
まずは、瓦町まで琴平線に乗車。待っていたのは元京浜急行の700系であった。なぜ解ったかというと、4ドアであったからだった。
いよいよ出発。琴平線は80kmくらいのスピードを出す。以前はここもつりかけが走っていたのかと思うと、「すごく良い音だっただろうなあ。なぜもっと速く乗りに来なかったのだろうか。なぜもっと速くicレコーダーが無かったのだろうか。」などとどう考えても泣き言としかいえない文句を心の中で叫びながら乗車していた。
そして50分で瓦町に到着。時間は8時半くらいである。
いよいよつりかけ乗車である。まずは朝から動いている志度線に乗車。長い通路と動く歩道を通って志度線のホームへ。ホームには残念ながらつりかけは停車していなかった。
車掌さんがやってきたので、レトロ電車の運転時刻を問い合わせた結果、次にくるのが旧型であることを教えてくださった。
そして、電車を1台見送り、しばらくするといよいよやってきた。30型の27号と28号。早速乗車して窓枠などを触りまくった。レコーダーもスタンバイして、いよいよ出発。つりかけ独特の唸りが床下から突き上げてきた。最高である。
志度線はカーブが多いので、あまりスピードを出さない。そのためあまりモーターは唸らないが、その分車輪とレールがきしむ音や、カーブで車輪とレールがキーキーと擦れ合う音などが良く聞こえる。いかにも小型車両が走るローカル鉄道という雰囲気いっぱいである。志度に到着するとすぐに折り返し。そのまま瓦町まで行かずに、途中の沖松島で一端下車。列車の外での出発のシーンを録音した。
運良く風があまりなかったので、それなりに録音できた。
沖松島で降りたのは、すぐに隣駅で折り返してくる列車も旧型だからであった。
瓦町まで行くと、その列車に乗るには約1時間待たないといけないので、こういうこととなった。
次は、20型の23号。なんとなんとカルダンモーターの800型と併結されていた。23号は28号よりも車内が狭かった。またホームと車体との間に隙間ができるので、木の板を増設していた。
この列車でも、志度まで行き、志度からは瓦町まで戻った。車内はそんなには混雑していなかった。もちろんカメラを構えたファンの姿もあったが、立ち客多数で車内を動きにくいと言うことは全くなかった。これは長尾線でも同様であった。
次は、長尾線に乗る。瓦町で駅員に聞いたところ、11時33分発の高松築港行きがレトロ電車と言うことであった。早速コーヒーを飲んで待機。瓦町の改札内には、数種類の飲み物の販売機といすがあり、ゆっくりとくつろげるようになっている。
ホームに降りると程なく、1000型の120号と60型の65号がやってきた。数組の親子もこの電車を待っていたようで、親子共々喜んでいたようだった。
子供は「すごい電車。」といっってはしゃいでいたし、大人は感激してじっと黙って写真をぱちぱちと撮っていた。
そして高松築港、高松築港から長尾、そして長尾から高松築港と往復した。
長尾線は志度線に比べてスピードを出すのでモーターを本当に唸らせながら走行してくれる。これまた最高であった。
高松築港からは途中まで行き、下車。そして外での出発音を録音した。しかし今度は横を走る車の音で余りよいものにはならなかった。
しばらく待つと今度は、3000型の310号と315号の高松築港行きがやってきた。この列車にもたっぷりと乗車した。そして最後は、本山という駅で下車して、この315号の出発の音も録音したが、やはり車の音が入った。まあ車の音が入らない所なんて、本当に田んぼの真ん中か、それこそ秘境駅にでも行かないと難しいだろう。
そして午後の3時となり、長尾線での旧型車両の運転も終わってしまった。もう少し夕方の5時くらいまで走らせて欲しかったなあなどと思いながら、カルダン車で瓦町に戻った。
瓦町からは、せっかく1日乗車券があるので、琴平からjrに乗ることとして琴平まで琴電で行くこととした。
やってきた電車は朝と同じ元京浜急行700系であった。
琴平駅からjr駅まで歩いた。そしてjr駅の横にあったうどん屋でうどんを食べようとしたが、なんとなんとうどん屋は閉店してしまっていた。
もう店事態やっていないとのことだった。ああ残念。ということで、普通の売店でサンドイッチとちくわを買って、岡山行きの南風の到着を待った。もちろん大阪までの切符も買った。
南風がやってきた。それこそ足の踏み場も無いくらいの混雑を予想していたが、なんとなんと席に座れたのである。自由席にもほとんど立ち客はいなかった。ちなみに琴平を17時20分くらいに出発する列車であった。
やはり列車でなくバスやマイカーが四国と関西との移動では主役のようだ。
私の乗った南風は、善通寺に停車すると、丸亀、宇多津と停車する。なんと多度津に停車しない特急もあるのである。というのは、宇多津で徳島から高松、坂出経由でやってきたうずしおと併結して岡山に向かうのである。
宇多津からは四国の特急では一番長い8両編成となり、瀬戸大橋を渡って、小島・岡山へと向かって高速で駆け抜けた。そして18時20分過ぎに岡山に到着。
ここですぐに新幹線に乗れば良かったのであるが、岡山駅がかなり変わったと言うことで少し探検したくなり、ホームから神戸側にある跨線橋に上がってみた。
そして新幹線乗り換え口の方に歩いていくと、全く以前とは様子が変わっていた。
以前の岡山駅であれば、ちょうど神戸側の跨線橋から博多側の跨線橋までの間にお土産屋さんのちょっとした飲食店や立ち食いのうどん屋などがあった。しかし、その当たりは今工事のまっただ中で、店は全くなく、通路も極端に狭くなっていた。そしてメインの乗り換え口と改札口は、以前の博多側にあった跨線橋付近に集中的に配置されていた。
まずは、以前の博多側の跨線橋の幅が、3倍くらいに広げられていて、その上に店が集められていた。また以前は在来線の改札口はホームと同じ1階にあったのが、この幅が広くなった跨線橋付近に新幹線の改札口と一緒に配置されていた。
そして改札の外の2階部分にもいろいろな店ができていた。
私は、一端改札を出て、少々こぎれいなうどん屋に入り、うどんとエビ天の入った巻き寿司のセット、そして本格的なわらび粉の入ったわらび餅を食べた。
値段は少々高かったが、味はまずまず。
そして再び改札内に入り、19時33分発のひかりレールスターで家に帰宅した。
岡山駅も大阪駅同様、今大規模な工事の真っ直中の用である。ホームの配置も今後換わるようであるので、これからどうなっていくのか興味深いところである。
ということで私のgwの報告を終わりにしたいと思います。
乱文につきあっていただきありがとうございました。
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