☆★☆贅沢な21時間★☆★(後編)


 7時31分。雨の新津駅を発車し右へカーブすると、信越線に別れを告げて羽越本線へと歩みを 進めて行きました。しかしまだ旅は半分も過ぎてはなく、今からがメインといった感じでした。今からが初めての体験で、8時から 予約しておいたシャワーを浴びに行くことにしました。これまでにシャワーの設備がついた夜行列車には幾度となく利用したことが ありますが、実際にその設備を使ったことはなく、少し不安でもあり楽しみでもありました。これだけ長い時間乗るのですから、 シャワーの1回ぐらいは浴びたくもなるのが僕の心理というもので、係員にロビーカーの片隅にあるシャワー室に案内して頂き、その 説明を受けました。これがシティホテルとは違う物で、シャワーはカード式で全て予約。30分以内に全てを済ませないとお湯が止まる というシステムになっていました。シャワーを浴びている間は揺れというものはそれ程感じず、極々普通に浴びることが出来ました。 お湯を出せば手元のデジタルの数字が減って行き、暗黙で監視されているようでしたが、気分はすっきり。残り時間6分のところで その全てを終わりカードを抜きました。好奇心が働いて、残りの6分は使えるのかと思い、また差込口にカードを入れるともうアウト。 そのカードはその役割を終えたようでした。
 9時を過ぎた頃、食堂車から「只今からパブタイムが始まります」との旨が伝えられたので、話の種に足を運んで見ました。 人はそれ程いませんでしたから適当な椅子に座り、とりあえずオレンジジュース。ワインでもと考えましたが、とりあえず先の 事を考えてやめました。10時前にはどうやら山形県に入ったようで、鳥海山の近くを走っているとの放送を最後に、その日の 放送は終わりました。新大阪を出てから殆ど自室に閉じこもった状態だったので、夜は眠れるかと思っていたら、次第に瞼の方が 重くなりだしたので、下段に簡易ベッドを作り横になりました。電気を消すと今まで見えなかった雪明りでボーッと浮かび上がった 景色が見えました。

午前3時の青森駅
 どのぐらい眠ったのか、列車はかなりスピードを落として走っていました。横に止まっている貨物列車はもう「置いてある」といった ぐらいの積雪があり、ここはこのぐらいのスピードで走る区間なのだと思っていました。それにしてもやけに長いなと思って いました。再び目が覚めた時、まだ青森へ着いたような気配はなく、すぐに遅れているということを察知しました。青函トンネルの 説明は特には気にしていませんでしたが、それよりも次に乗り換えるオホーツクのことが気になり、ロビーカーにいた係員に尋ねた ところ、何と1時間近くの遅れているらしく、青函トンネルへは4時前に入るとか……。冬の旅は一見ロマンにあふれているようですが、 実はこういった現実もあるのだということを知りながら再び自室へ。どのぐらい寝たのだろうか、広々とした敷地が広がり、複雑そうな ジョイントの音が響いて来ると青森駅に着きました。律儀にも駅の電気は全てついており、この列車を歓迎しているかのようでした。 本来はどのぐらいの停車時間があるのかは知りませんが、ED79が先頭に立ったのであろう。繋ぐ時の衝撃も感じることなく、 割とすぐ青森駅を発車しました。それから再び記憶が遠のいて、ふと気が付くとどうやら海峡線に入ったようで、雪煙を上げながら かなりのスピードで走っていました。スラブの音とかすかなブレーキ音が聞こえて来たからもう青函トンネルも近いはず、津軽今別駅の 看板を照らすライトが窓に細い線を引くように過ぎると、大小7つのトンネルを過ぎていよいよ青函トンネルへと突入しました。たまたま 目が覚めていたということもあってロビーカーに足を運ぶとやっていました。JR北海道の職員による青函トンネルの説明会。結構な人数が 集まっており、ある意味このトンネルの人気もまだ高いということを伺いました。説明をそこそこ聞いてから再び自室へ。曇りガラスの向こうへ リズミカルに飛び去っていくトンネルの蛍光灯も、今日は新鮮に見えました。
 もうあれからどのぐらい寝たのだろう。手元の時計を見ると6時20分を少し回ったところでした。列車は既に北海道にどっぷりとつかっており、 空には月、更に東の空は白み始めていました。流石に北国の朝は早い。デッキの窓ガラスは凍りついており、その寒さを実感しました。

北海道の朝
 第1回目の朝食の準備が出来たことが車内放送で流れた為、食堂車へ向かいました。ホテルの朝食と殆ど変わらないメニューの朝食を 食べました。ただ揺れでコーヒーが踊っていたのはちょっと気にかかりましたが、後は何も気になるところはありませんでした。北海道最初の 停車駅「洞爺」を過ぎる頃にはもう日も出ており、この旅もフィナーレが近付いて来たことを実感しました。自室にこもる、いわゆる「引きこもり」 ももうそろそろ終わり、ベッドから再び椅子に戻してから最後の一時を楽しみました。ドアはカード式で開閉の際に何度か失敗して締め出しをくらった こともありました。それも今ではもうベテラン?。南千歳を過ぎて暫くすると再び車内放送。「皆様 東海道線から始まって、湖西・北陸・信越・羽越・ 奥羽・津軽海峡・江差・函館・室蘭・千歳線と辿って参りましたが、如何でしたでしょうか?」から始まり、札幌駅からの乗り換え列車まで告げてようやく、 寝台特急のオルゴールが流れだしました。そうか。考えて見れば昨日の12時9分からこの列車に乗っていたのかと、まるで昨日のことが遠い過去のこと のように思い出され、改めて過ぎ去った21時間の長さを感じました。継いで「いい日旅立ち」が流れ出すとすぐに札幌着。不景気な世の中から抜け出した ようなこの21時間を、何処かへ保存したいという気持ちを抱きつつ、列車を降りました。
DD51の牽引で札幌到着
 大阪発日本海縦断線経由の札幌路線は、これまでにも何度か利用したことがありますが、列車が違えば見る物全て新鮮に感じました。列車を降りれば車輪や連結器 にも雪が付着しており、いつの間にかトワイライトも北海道の顔とした装いになっていました。長距離列車が次々と引退する中、新大阪から乗換えなしで やって来たという不思議感と満足感に満ち溢れながら、10分後のスーパーホワイトアローに乗り槌増した。

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